おはようございます。
自己責任という言葉が叫ばれるようになって随分と時が経ちました。すでに目新しい言葉ではありませんね。さて、この言葉の意味するところは仏教の縁起の思想に反すると僧侶研修会にて以前お話を聞きました。縁起とは仏教の大切な教えの一つです。縁起というと一般的には縁起が良いとか、縁起でもないとか、そういう吉凶に関する言葉として使われることが多いですが、仏教でいうところの縁起とは、因縁生起(いんねんしょうき)の略で、色々なものが原因となり、結果がもたらされ、またそれが原因の一つになって次の結果に結びついていくという考え方です。Aが原因となってBになるという単純なことではなく、数えきれない色々なことが原因となり、ある結果に結びつくのです。自己責任を言われる時は、何故そんな危険な所に行ったんだ?!行ったやつが悪い自己責任だ!という感じで言われるわけですが、しかし、その人が結果的に危険な所に行くようになったのは単純な理由ではないはずです。様々な事柄に影響を受け、その積み重ねの上でそこに行くことになったわけです。危険な所に出かける決断は確かに本人がしたのでしょうが、それに至る道すじは多くのことが影響・原因となってもたらされたわけです。ですから、当事者たる個人にのみ責任が求められる話ではないのですね。別の例で話をすると、箱根駅伝で10秒差で優勝を逃したとしましょう。すると、最終走者は自分の力不足を悔やむでしょう。しかし、彼だけの責任で優勝を逃したわけではありません。それまでの9人の走者がもっと早く走っていれば結果は違っていたかも知れません。物事は単純ではないのです。自己責任は何とも冷たい言葉に感じます。ひとりぼっちにさせてしまう言葉に感じます。ひとりぼっちではないよというのが仏教の教えです。
それでは、今日も手を合わせることから1日を始めましょう。